宿主


 周囲のすべてが敵だった。相手は人間の姿で、人間の身体を借り、操り、どんどんと数を増やしていく。

 マーキュリー、ジュピターの救援を受けたセーラーヴィーナスこと愛野美奈子は二人がいるという商業ビルへと向かったが、そこで待ち受けていたのは虚ろな表情の人々だった。そして被害者かと思う間もなく映画で見たゾンビのようにゆっくりとした足取りで一斉にヴィーナスへと向かってくる。

「どういうこと!?」

 恐らくは操られているのだろうと判断し、得意のキックで迫りくる人々を蹴散らしていく。

「――ッ」


 そして、倒れ伏した犠牲者の口から、それは飛び出したのだった。細長い、芋虫のような外見をした蟲。それが今では人々の口から、股間から、穴という穴から躍り出ていた。まるでセーラーヴィーナスを歓迎するかのように。

「き、気持ち悪いわね……」

 絶望的な状況でも楽観的な態度を崩さないのが彼女のスタイルだった。唯一気がかりなのは、マーキュリーとジュピターに全く連絡がつかないということだった。嫌な予感だけが心を支配するが、今は希望だけを見出して先へ進むしかなかった。

「もうっ どきなさいっ!」

 黄金の鎖がヴィーナスの周囲を包んだかと思った瞬間、それは周囲を取り囲む人々を薙ぎ払った。そして、口からのぞく蟲を正確に切り刻む。緑色の液体が散乱し、腐臭を漂わせた。

「ひどい臭い……」

 思わず顔をしかめてしまうが、相手が寄生型の妖魔と分かり、そいつさえ倒してしまえば何とかなるという感触を得て、幾分かは気持ちが楽になる。

「二人は一体どこにいったのかしら……」

 ビル内を駆けながら、襲いかかる宿主達を操る寄生蟲を倒す。だが、ヴィーナスは知る由もなかった。中央ホールで寄生蟲を完全に片付けた犠牲者達が次々にむくりと起き上がり、またゆっくりと徘徊し始めていることを。そう、蟲は一匹だけが入り込んでいるわけではないのだった。身体の中では、何匹もの蟲が入り込み、宿主の身体を作りかえ、操っていたのだった。

「このビルの人間全員が寄生されただなんて……」

 信じられない事実。いったいどうやってあれだけの人数に入り込んだのだろうか。

(考えても仕方ないか……今はとにかく二人を!)

「きゃあぁああああ!!」

 そう思ったのも束の間、しばらく進んだ場所で、ヴィーナスに女性の悲鳴が聞こえてきた。

「あっち!?」

 声の響いた方向へ駆け出す。そして倒れ伏した女性を見たのだった。その傍らに二人の影。

「マーキュリー! ジュピター!」

 ヴィーナスが探していた二人は、まさに倒れた女性を眺めるように座り、ヴィーナスへ背を向けていた。そして、ゆっくりと起き上がると彼女達はヴィーナスへ向き直る。

「ひっ……」

 二人の口から蟲が、その身に唾液を絡ませて姿を除かせていた。おそらく、倒れている女性はマーキュリーとジュピターに襲われたのだろう。本来であれば助ける側に回るはずの二人が、女性を襲ったという事実。

「そんな……二人まで……」

 絶望が襲ってくるが、寄生されただけならば蟲だけを除けば良い。中央ホールでの経験から、ヴィーナスは黄金の鎖を振るう。

「ヴィーナスラブミーチェーン!」

 ゆっくりとした動きの二人は、それをかわそうともせず、愛らしい顔を無機質にヴィーナスに向けたままだった。そして、蟲は鎖によってその身を半ばあたりで切断され、地面をのたうち回る。醜悪な姿そのものでしか無く、体液を辺りに飛び散らせて次第に動かなくなった。二人はスイッチが切れたようにその場に倒れ、人形のように虚ろな表情を天井に向けていた。

「マーキュリー大丈夫!? ジュピターも!」

 ヴィーナスは急いで二人へ駆け寄ると、マーキュリーを抱き起こす。意識は無いが、死んではいない。呼吸はしているし、なにより身体の鼓動も――

そこでヴィーナスは違和感に気付いた。

(なに、これ?)

 呼吸ではない。何か、マーキュリーの身体の中を蠢いているような感触。

(しま――)

 気付いた時には遅かった。マーキュリーの喉がゴクリと動いた瞬間、その小さな唇が名一杯開かれ、蟲が飛び出してきたのだ。マーキュリーを放り出し、距離を取るためにバックステップ。しかし、蟲は想像を超えるしゅんびんさを見せた。

「くっ!?」

 首に巻きつかれ、ギリギリと絞めつけられる。その肌に伝わる感触は、ブヨブヨとした柔らかいものであったが、唾液と体液が混じり合った粘液をその身に纏わせ、ヴィーナスの細い首を犯す。

「あ、ぅ……」

 ヌルヌルに滑る蟲を引き離そうとするが、うまく引き剥がすことが出来ない。そんな格闘を続けているうちに、マーキュリーとジュピターはむくりと起き上がり、ヴィーナスへゆっくりと近付いて来る。

「やめ、て……二人とも……」

 二人がこれから何をしようとしているのか、ヴィーナスにはその想像が明確に予想できた。

(私にも、寄生させるつもりね……ッ)

 蟲が数多くの人間に寄生できた訳。それは人間を使って人間を襲わせ、新たな宿主を確保させることだった。

「あぐっ……」

 このままでは、自分も宿主にされてしまう恐怖が襲う。そして、この二人のように……。

 マーキュリーとジュピターは、人間の姿こそしているが、すでに内部は蟲が詰まった皮袋のようなものなのだろう。股間から覗く蟲もそうだが、その皮膚の下を蠢く様がハッキリと解る。

「い、や……」

 死ぬことさえ許されず、こんな姿となって動き、人を襲うという事がたまらなく恐ろしい。

 ヴィーナスは何とか逃れようと渾身の力を混めて引き剥がすが、その次の瞬間には、すでに両手と両足は二人によって押さえ込まれていた。

「やめて! 自分を取り戻して二人とも!」

 無駄なことは解っているが、叫ばずにはいられない。すでに二人が人間ではなかろうと、生きてはいないとしても、マーキュリーとジュピターの姿をしている事はヴィーナスにとっては非常に大きな問題だった。それも残酷という名の問題だ。かつての仲間、親友、生死を共にしてきた仲である。それが無表情に、蟲に操られるままに襲い掛かってくる。

「お願い……こんなのって、ひどいよ……」

 流れ落ちる涙。しかし、それは二人を制止させることには何の意味も持たない。ただ淡々と二人はヴィーナスを組み伏せ、蟲が寄生しやすい体位へと導いていく。

「う、くっ」

 懸命に抵抗をみせるが、恐るべき膂力を発揮する二人にはビクともしなかった。恐らくは、二人の筋肉などではない。蟲の力だろう。腕の中にも、腹にも、足にも、そして頭にも蟲は蔓延り、十数匹が一斉にヴィーナスを押さえ込むのだ。先程の首に巻きついた一匹にもあれだけてこずっただけに、容易にはいかなかった。

「は、離して! もうやめてっ!」

 二人の口から覗く蟲は不気味にヴィーナスを眺めるだけだった。そして、ついに恐れていた事態が始まる。

「むぐぅ!」

 マーキュリーの口から伸びた一匹が、叫ぶヴィーナスの口へと進入する。


「ごっ……ぐぉ」

 歯を突きたて、噛み切ろうとするが無駄だった。あまりにも太く、そして滑るその身体は捕らえようが無く、ただただ口を、喉を蹂躙される。喉へ一気に進入してきた為に吐き気を催すが、内容物は蟲の太い身体に阻まれて逆流さえ許さない。

(苦しいっ! 息、が……ぁ)

 呼吸の出来ない恐怖でパニックが起こるが、どうする事もできない。

「むぐぐぅう!」

 涙が自然と流れ落ち、汗と鼻水で顔がぐしゃぐしゃに濡れていく。さらには蟲の体液の影響が、口や喉が痺れ始め、感覚が消えていく。一種の麻酔効果だった。

(誰か……助け、て……)

 救いを求めるが、誰にも聞こえることはない。