融合


 

 セーラーマーズは己の迂闊さを呪っていた。妖気を感じ、得たいの知れない異形の存在を突き止め、仲間への連絡をしたまでは上出来だった。だが、その異形はセーラーマーズの予想をはるかに超える程に知能があった。
「みすみす罠に飛び込んだってわけね……」
 大量の妖気を放出し、獲物を誘き寄せる。一般人にとっては、甘い匂いにも感じ、思考を麻痺させて誘われる虫のようにフラフラとやってくるに違いない。マーズにとっては、邪悪な妖気そのものにしか感じられなかったが、招きよせられたという点では似たようなものだった。
「くっ、離せっ! 離しなさいっ!」


 護符による攻撃もさしたる効果が無く、マーズの炎をもってしても、焼き払う事は出来なかった。
――シュルシュル
 それは、まるで食虫植物のような巨大な異形。炎は有効かと思われたが、表面から大量に分泌されている粘液がそれを防いだのだ。唯一の必殺技を封じられ、攻撃をかわし続けるものの、それはあっという間の出来事でしかなかった。
(まずいわ……みんなが来るまで、時間を稼がないと……)
 仲間への連絡は済んでいる。後は駆けつけてくるのを待つだけだったが、身体を拘束されている状態では、これ以上どうする事もできない。
 異形からは、よく見ると人間の腕のような触手が伸び、花びらの周囲には人間の乳房のようなものが大量に生え出ている。
「まったく、気色悪いったらありゃしないわっ」
 毒づくマーズだったが、相手が自分の言葉を介しているとはとても思えない。
 拘束する触手からは、絶えず粘液が分泌され、マーズを汚し続ける。それは不快以外の何物でもない。
「このっ、離せってば!」
 と、力を篭めた瞬間、マーズは我が目を疑った。粘液に汚れる自分の足が、あらぬ方向へと曲がったのだ。
「ひっ」
 驚きよりも、恐怖だった。自分は一体何をされているのか全く見当もつかない、未知への恐怖。
「な、な、何をしているのよ! 今すぐ離しなさいってばっ!」
 足がグネグネと曲がるものの、痛みは無い。動かす事も出来る。それはまるでゴムになってしまったかのように、間接が無くなったように動くのだ。自分の身体が、そんな状態になっていく事への恐怖は尋常なものではない。
「や、やめなさいよ!」
 毒づく声にも力が無くなっていく。拘束されてから数分も経っていないというのに、この有様だった。果たして仲間が来るまでに自分は無事でいられるのだろうか。
(まずいわ、本当に、このままじゃ……ッ)
 粘液を浴びた部分が変質していっている。ならば粘液を避ければいいのだが、拘束されている状態では無理というものだった。
 粘液は動けないマーズをよそに、どんどんと侵食する範囲を広げていく。 「ひっ、やめっ、やめて!」
 もとより懇願の通用する相手では無い。
 異形はお構いなしに、粘液をマーズに塗りつけ、そして――。
「うぐぅ!」
 叫び声を上げ続ける口に、黙っていろと言わんばかりに触手を突き刺した。
「んん〜〜!!!」
 瞳には涙すら浮かべ、必死に拒もうと歯を立てるが、粘液で滑る触手には効果が無かった、それどころか、どんどんと触手は喉へと進入してくる。
「んんんんぅ!」
(まずいっ、粘液を、身体にっ)
 マーズの最悪の予想は当たっていた。触手は、マーズの身体を中からも作り変えようとしているのだ。
(だめっ! いやだっ! やめてぇ!)
 心の叫びは激しくなり、心臓が短い間隔で激しく脈動する。そんな事はお構いなしにと、触手はじんわりと、粘液を触手から滲み出させる。それはゆっくりと、まるでマーズの恐怖を弄ぶかのようだった。
「ん〜〜〜〜!!!!?」
(い、いやぁー!!)


 動くマーズの手足は、異形の触手のようにウネウネと動き、滑稽な姿を披露していた。そう、異形の目的は相手の生物を自らに取り込み、融合すること。そして、それを分析する頃には、マーズも異形の一部となっているだろう。
(じゃ、じゃあ……あの手足はっ)
 マーズが見た手足のような触手、乳房は、恐らくは犠牲者のものに違いない。そう考えた瞬間に、ようやく最大の恐怖が襲ってきたのだ。
(い、いやいやいやぁああああ!! なりたくないっ! 異形なんかになりたくないっ! 助けてっ! 誰か! 助けてよぉ!!!)
 ウネウネと激しく手足を動かし、恐怖に顔を歪め、涙と鼻水を一緒にしながら顔を歪ませて、マーズは抗った。だが、触手は確実に身体を侵食していく。
(ひぃいいいいいいい!!)
 既に足は、手は、どこから身体でどこから触手なのかが解らなくなっていた。侵食は即効性を持ってマーズを作り変えていく。内臓も、恐らくは人間ではなくなっているだろう。
そして――
「ぐぅ……」
 耳へと侵入した触手は、鼓膜を溶かした。その瞬間に、マーズは聴覚を失った。
(み、耳がぁ……耳……え、え、え、何? ちょっと、何よ、何をしようっていうのよ、やめてよ、やめ……ひぃっ)
 鼓膜を溶かした触手は、そのまま先へ先へと進んでいく。その先にあるのは、そう、マーズの思考そのもの。脳だった。
(それ以上いかないでぇ! お願いします! お願いだから、やめ……あ?)
 ゆっくりと触手は脳へと到達した。そして、先端から粘液を染み渡らせる。
(あ、ひ? あ、らまが……おかされへ……)
 思考が出来ない。心の中でさえ、まともに物を言うことが出来なくなる。考えることが出来なくなっていく。恐ろしいことだったが、恐怖が薄れていく。自分が何物なのかも解らなくなっていく。それは強制的な洗脳。異形と脳の同化。真の意味で、マーズは異形と同一の存在へと変わっていく。それも、残酷にもゆっくりと。
(やめへぇ……わらひを、けさないへ……たふへへ……ぴぃ)
 訳の解らない心の叫びと、懇願。
「ぐ、ぷぅ……」
 身体の全てを侵食されていく火星の女神。両眼はこれ以上無理という程に上を向き、滝のように涙を流し続ける。哀れな獲物は異形に囚われてからほんの数分で融合されてしまった。
(みん、な……)
 最後に浮かんだのは、仲間達の姿だった。