揺らぐ正義


 

 ○○に敗北してから、何時間経っただろうか。
 新たな支配者として君臨するのは、かつて人間が家畜と呼んでいた豚。その豚共は人間のように直立し、人間を家畜のように飼い始めた。抵抗する人間達もいたが、それらの殆ど全てが家畜とされるか、屠殺された。
 薄暗い無機質な空間。光の届く範囲に壁は見えず、ただ暗闇が延々と続いている、膝下ぐらいまで赤黒い液体が満ちており、体を動かそうとしても、波紋が広がるだけだった。  そう、今私は拘束されている。
「くっ、こんな触手如きに…!」
 そう、触手だ。忌々しい事に、私は万歳の姿勢で体を拘束されていた。足は液体から顔を出した触手にしっかりと固定され、一歩も動く事が出来ない。その上、敗北の印とばかりに、首には家畜につけるような無骨な首輪をつけられている。
 戦士としての尊厳を存分に踏みにじる格好。これだけでも赤面ものなのだが、それ以上に、耐え難い苦痛がサターンを苛んでいた。
 まず、足元に広がる液体。この液体に浸かった足が、先ほどから過敏に神経が反応するのだ。足を締め上げる触手が微かに動くだけでも、過剰に反応してしまう。同時に、この液体には布地だけを溶かす不思議な性質があるようで、水面で触手が動いた際に跳ねた液体で、スカートがボロボロになってしまった。
 神経毒は足元からだけでなく、手を縛る触手からもポタポタと垂れていた。液体は一滴一滴がゆっくりと腕を伝い、脇からわき腹にかけて下に落ちていくのだが、それがまるで指先が這っているかのように錯覚してしまう。
 だが、このような窮地に陥った責任は自分にあった。
一つは、妖魔を退治するのを優先するあまり、近くにいた一般人を人質に取られた事。そして、もう一つは、その妖魔退治に単独で赴いてしまった事だ。
(あの時、仲間と合流するまで待機していれば)
 事実、あの時サターンには待機命令が出ていた。だが、それを無視して単独行動を取ったのだ。
 だからこれは当然の報いなのかもしれない。


「ひゃうっ…やめろ…」
 肩を拘束していた触手が突然脇を舐めた。新しい所を舐められるたび、肌に赤黒い液体が染み込み。感度を上げていく。
 最初は得に気にもとめなかったのに、今では触手の微細な動きがとても煩わしい。
 早くここを抜け出す手段を考えなければ、そう考えていた時、前方からこちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。
「誰!?」
「威勢がいいなセーラー戦士。少しは疲弊してきているものかと思っていたが」
 暗くて影しか見えない位置から、妖魔が話しかけてくる。その声は先日戦い敗れた妖魔のもので、自分が置かれている状況が芳しくない事を告げていた。
「私を捕まえていい気になっているのかもしれないけど、お生憎様、もうすぐ仲間がここに来るわ。貴方もおしまいよ」
 確証はない。だが、仲間ならきっと助けに来てくれる。
 その心を見透かしたように妖魔は言い放つ。
「仲間なら来ないぞ」
「え?何を根拠に…」
「ここは現世とは違う空間にある。おまえは気づいていないだろうが、ここはあの戦った場所から1キロとて離れてはおらんわ」
 低いせせら笑いが響く。妙に感のつく笑い方。
「そんな事を言っても、私はいつまでも待つわ!敵の目の前に姿を晒せないような臆病者に屈するものですか!」
「臆病者か……貴様が敗北と引き換えに助けた命だというのに」
 人影が一歩ずつ近づいてくる。段々と明確になっていくシルエット。そのやや大柄な人影に、サターンは見覚えがあった。
「あ、貴方は……!」
 暗闇から顔を出す。それはサターンと妖魔との戦闘時、たまたま近くに居合わせ人質となった中年男性だった。